今回はオホーツク地方にある北海道遺産を紹介していこうと思います。
旅の計画などに参考になれば幸いです。
北海道遺産とは?
北海道遺産(ほっかいどういさん)は、北海道に関係する自然・文化・産業などの中から、次世代へ継承したいものとして北海道遺産構想推進協議会が選定した有形無形の財産群であり、52件が選定されている(第2回選定時点)。
北海道遺産を活用することで、北海道民自身によって北海道に新たな活力を生み出す町おこし運動を北海道遺産構想と呼ぶ。北海道遺産構想推進協議会は北海道遺産構想を推進するために設置された民間主体の機関である。
(wikipediaより引用)
つまり、北海道遺産とは、世界遺産の北海道バージョンといったところです。
北海道遺産は北海道遺産物語という名前でテレビでも紹介されていました。
北海道遺産物語(ほっかいどういさんものがたり)は、北海道テレビ放送 (HTB) が放送していたテレビ番組である。毎週、北海道遺産をひとつずつ紹介している。2002年4月から開始し2007年3月24日で一旦終了し、同年4月21日から2009年3月28日まで「北海道遺産物語 第二章」として放送された。なお、番組はインターネット(本編はブロードバンド限定)およびNTTドコモのFOMA端末での配信も行われた(Vライブサービスで配信)
(Wikipediaより引用)
オホーツクにある北海道遺産
1. ワッカ原生花園・小清水原生花園
ワッカ原生花園はサロマ湖とオホーツク海を隔てる幅200m~700m、約20kmに及ぶ砂州に広がっており、別名「龍宮街道」とも呼ばれる日本最大の海岸草原です。
小清水原生花園は世界自然遺産の知床半島をオホーツク海越しに見渡す小高い海岸草原でラムサール条約登録湿地の涛沸湖に隣接しています。
2. ピアソン記念館
ピアソン記念館は、北見の創成期の精神・文化などに大きな役割を果たしたアメリカ人宣教師ピアソン夫妻の私邸を、記念館として復元したものです。
この私邸は、ピアソン夫妻が15年間にわたって生活した木造2階建の西洋館で、建築技師のウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により建設されました。
この記念館は、ピアソン夫妻の功績を広く知らせるだけではなく、ヴォーリズが設計した日本最北の建築物を保存するという機能をもっている。
その後は、1952年(昭和27年)から北見児童相談所として利用され、1963年(昭和38年)以降は様々な団体が活用した。
1968年(昭和43年)から北見市の所有となり、1970年(昭和45年)に北見市が復元工事を行い、1971年(昭和46年)にピアソン記念館として開館された。
2012年(平成24年)MISIAの26枚目のシングル「恋は終わらないずっと」PVの撮影が行われた。
3. 森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」
「雨宮21号」は東京・雨宮製作所で製造された初の国産11トン機関車です。
1928(昭和3)年、丸瀬布-武利意森林鉄道に配属され、国有林から伐り出した丸太や生活物資の搬送に携わってきたが1958(昭和33)年に廃止。地元の強い要望で1976(昭和51)年、北見営林局から旧丸瀬布町に譲渡され、町は“森林公園いこいの森”を建設、機関車を走らせました。
森林鉄道蒸気機関車の動態保存は全国で唯一のものです。
4. オホーツク沿岸の古代遺跡群
オホーツク沿岸地域では縄文、続縄文、オホーツク文化、アイヌ文化まで各時代の遺跡が分布し、遠軽町白滝村など内陸部では、旧石器時代の遺跡が多く見られます。
オホーツク沿岸の遺跡は、樺太・シベリアなど大陸諸文化との関係が強く認められ、堅穴住居が連綿として残る常呂遺跡(北見市常呂町)、オホーツク文化遺跡として著名なモヨロ貝塚(網走市)、縄文後期の朱円周堤墓(斜里町)などが代表格です。
5. 流氷とガリンコ号
ガリンコ号(ガリンコごう)は、紋別市の紋別港で観光目的に運用されている砕氷船です。
「ネジを廻すと前に進む」というアルキメデスのねじの原理を利用した「アルキメディアン・スクリュー」と呼ばれる螺旋型のドリルを船体前部に装備し、それを回転させ氷に乗り上げ、船体重量を加えて氷を割ることで流氷域の航行ができます。
6. 屯田兵村と兵屋
屯田兵は明治8年の札幌郡琴似村に始まり、開拓と軍備のため、明治32年の士別、剣淵まで道内各地に37の兵村が置かれました。
管内では上湧別町に当時の区画の北兵村地区と南兵村地区が残っており、屯田兵の歴史や暮らしがわかる郷土博物館も設置されています。また、北見市の信善光寺には屯田兵人形75体が祭られています。
いかがでしたでしょうか。
オホーツク観光や文化を知るきっかけなどになれば幸いです。
それではまた。
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